オートマのあゆみ
日本におけるオートマチックミッション(AT)技術の進化、日本のモータリゼーションの始まりは、1950年代になる。
その頃、日本メーカー各社ともオートマの研究を行っていたが技術レベルは低く、完成品の購入または技術導入という形で海外メーカーに頼らなければならなかった。
しかし、オートマチックミッション(AT)の専用メーカーであるアイシンワーナー(現アイシンAW)と日本自動変速機(ジャトコ)が設立された1970年代頃から本格的な日本のオートマチックミッション(AT)開発が始まり、当時の様々な社会情勢の中で急速な成長を遂げた。
現在では、性能・品質・コスト等のあらゆる面において海外メーカーを上回りつつある。
1970年代〜1980年代前半
海外メーカーの協力を受け、本格的な国内生産が始まった。1973年のオイルショック以降、省資源・省エネルギーが叫ばれ、技術革新が始まった。
まず最初に、変速が電子制御化され、次にロックアップ機構が追加されました。 第2次オイルショック以降、省エネルギーに対する考えはさらに高まり、オートマチックミッション(AT)の多段化(3速→4速)や、車の小型化にともなうオートマのコンパクト化・FF化が進みました。
このような、改良によりオートマチックミッション(AT)の性能が向上した。 そのため、 国内ではオートマ車が急速に普及し、1970年代初期に10%に満たなかったAT(オートマチックミッション)車は、80年代には50%を超える急成長を遂げた。
1980年代中頃〜1980年代後半
オートマチックミッション(AT)車が増えることによって、ユーザーのATに対する要求も変化してきました。 ちょうど、DOHCやターボなど高性能エンジンが普及してきたこともあり、ただ単に”運転が簡単”ということだけではなく、スポーツ走行や省エネルギーを両立したものが求められるようになってきました。 トルコンスリップ(オートマ車はオイルを介して駆動力を伝達するため、パワーのロスが生じること。)を防ぐためのロックアップ機構や、クラッチ圧のきめ細かな電子制御が開発されました。
さらに、トルクダウンの制御や学習制御等の高度なエンジンとオートマの総合制御に発展していきました。1989年には、優れた加速性能と高速域での静かさと省エネルギーを目標に、ジャトコで開発された世界初電子制御5速AT「JR502E]が日産ローレルに搭載されました。同年にベンツ、翌年にはZFと相次いで5速オートマが発売され、オートマの多段化が始まった。
一方、これら有段自動変速機とは別に、欧州で一部実用化されていた無段変速機が国内で実用化された。1987年に富士重工が、排気量1,000ccのジャスティーにスチールベルト式無段変速機(CVT)を搭載したのを皮切りに、1992年に日産・スズキ、1995年にはホンダの小型乗用車シビックにもCVTが搭載された。
1990年代前半〜今日
1990年代になると環境問題がより重要視されるようになりました。欧州や日本で燃料規制が設定され、トランスミッションに対するエコロジーな技術が要求されてるくようになりました。そのため多段化・無段変速機化(CVT)を含め、スリップ制御を含めたロックアップ領域の拡大、部品点数の削減や共用化、材料や生産技術等の改良による軽量化とコストダウンに取り組みました。
1994年には、三菱自動車がティプトロタイプの5AT ”INVECS−II” をディアマンテに搭載し、これを皮切りに各社のマニュアルシフト開発が進みました。 多段化への動きはその後も広がりを見せ、トヨタを初め、1999年にはホンダも5ATを搭載し、大手メーカーを中心に拡大しました。 またCVT(トルクコンバーターを使わずに、ベルト式のオートマチックミッション(AT)。)の開発も本格化、1997年に日産は、2リットルエンジンに対応可能な金属ベルト式CVTを初めて実用化し、1999年には変速機構に金属ローラーを採用して3リットルクラス車への適合を可能にしたトロイダルCVTを発表した。その他の各社もベルトCVTを中心に開発を進め、2リッタークラスまでのCVT搭載を発表している。 一方、マニュアルトランスミッションの自動化も注目されている。クラッチ操作を油圧を利用して自動化することによって、エコロジーとイージードライブを両立するシステムである。更にはシフトを自動に変えるシステムの開発も進められている。 また、EV(電気自動車)、HEV(ハイブリット自動車)車の開発実用化が進む中、このシステム対応のトランスミッションも各社とも開発に取り組んでいる。 |